【過去の倒産の記憶】もしも放置逃亡したらどうなるのか? 1/3 (才藤 投稿)
最初に断っておくが、私共は放置逃亡をすすめる立場ではない。しかし、視点を変えてホームページのアクセスデータを見ていくと検索キーワード検索のランキングがある。(このキーワード検索から当事務所のホームページを発見してもらえるいう構図であるのだが)そのトップ3にはこの<放置逃亡>常にあがってくるのだ。不本意ながら多くの方が興味を持っているということは事実であることは否定できない。当事務所には興味本位で相談にくる依頼人は皆無だ。経営者の皆さんは大変な問題、悩みを抱えて来られる。私もその一人でした。
さて、今回もホームページリニューアル中ということもあってか、内藤明亜事務所が今日に至るまでの資料や情報を整理している際に目に留まった2013年のブログ記事の紹介です。当時、事務局の砂須賀野さんが子供の頃に体験した父親の倒産について書かれたものです。思い出すだけでも辛い出来事をあっただろうと思います。それでも記事にしたのはきっと恐らく同じような境遇に陥っている経営者の方々に同じ道を歩んでもらいなくない、では、どうすれば良いのかを多くの方に知ってもらいたいという使命感のようなものがあったではないかと感じました。
そこで改めて多くの方に読んでもらいたいと思い再投稿することに至りました。3回に分けての連載となります。
今回は①~②までを投稿します。
① 倒産体験(1) ~夜逃げ、転校~
② 倒産体験(2) ~子供だって何が起きたのかを知りたいのです~
③ 倒産体験(3) ~放置・逃亡~
④ 倒産体験(4) ~あとがきにかえて 倒産の手続きの先にあるもの~
⑤ 内藤明亜からこの倒産経験について、どうすべきだったかの解説
⑥ 総括 才藤からの視点
倒産体験(1) ~夜逃げ、転校~
内藤明亜事務所・事務局の砂須賀野です。
今日は私の倒産体験をお話しします。
正確には父の会社の倒産を、当時小学生だった娘の立場から思い出すままに書いてみようと思います。
はっきりと覚えている場面があります。
夜中の道路を父が運転する車に乗っていました。助手席には母、後部座席には姉と私が座っていました。
辺りは真っ暗で、ヘッドライトが照らす、ほんの数メール先の道だけを頼りに車は走っていました。
父は運転しながら母と激しく言い争っていました。
私は、その声におびえながら後部座席で姉と身を寄せ合っていました。
父が経営する自動車修理工場の隣に自宅兼事務所があり、ひっきりなしに鳴る電話や、頻繁に訪れる来客の様子から、ぼんやりと何か良くないことが起こっていることは理解していました。
債権者に追われて家にいることができなくなり、ある夜に一家で車に乗ることになったのです。
行先は母方の祖父母の家でした。
父と母は私と姉を祖父母に預けると、また車に乗って出かけていきました。
祖父母の家にどのくらいいたのか、記憶はあいまいです。
次に父と母が迎えに来たとき、「新しいお家に引っ越すのよ」と母から告げられました。
新しい家には、前の家の家具が運び込まれていて、私や姉の玩具や洋服もありました。
前の家とは同じ市内でしたが、車で40分ほど離れた場所にあり、私と姉は翌日から毎朝バスに乗って、小学校へ通いました。
新しい家の近所に住む子供と同じ小学校に登校することはできませんでした。朝は、集団登校で集まっている子供たちの脇を通り抜けて、バス停に向かいました。
今から思うと、債権者に居場所が分かるのを恐れて、しばらくの間住民票が移動できなかったのでしょう。
2年ほど経った頃、やっと転校することができました。
倒産体験(2)に続きます。
倒産体験(2) ~子供だって何が起きたのかを知りたいのです~
内藤明亜事務所・事務局の砂須賀野です。
倒産体験(2)です。
父が経営していた会社(工場)は典型的な零細企業でした。
従業員は多い時でも4人から5人、母が経理をしていました。
父は、もともと全く畑の違う業種でサラリーマンをしていましたが、車好きが高じて、会社に通いながら独学で自動車整備士の資格を取ったそうです。
オイルショック後の不況で会社が倒産したのは、会社を興してから7年後、父はまだ30代でした。
こうしたことは、私が成人して、父が亡くなった後に母から聞きました。
父も母も、姉や私の前で倒産のことを決して口にしませんでした。
「倒産ってなんだろう」
「なぜ、前に住んでいた家に帰れないんだろう」
「お父さんとお母さんはどうしていつもお金のことで喧嘩するのだろう」
私はいろいろな疑問を持っていましたが、それを聞くこともできず、いつも不安な気持ちを抱えていました。
小学校低学年の子供にそれを分からせるのは無理なことなのは分かります。
でも、子供だって何が起きたのかを知りたいのです。
新しい家に引越してから2年後に、ようやく姉と私は近所の子供達と同じ小学校に通えるようになりました。
二人とも、いじめを受けることも授業に追いつけないこともなく、すんなりと新しい環境に馴染むことができました。
母は、引越し後すぐに勤めを始めたため、姉と私は鍵っ子でした。
学校から帰ると、母が用意しておいてくれたおやつを食べ、宿題をしてから部屋の掃除と食器洗いをして、毎日午後6時に駅まで母を迎えに行きました。
母と姉と私が新しい日常の暮らしに適応していったのに比べ、父だけが安定しませんでした。
仕事が長続きせず、アルコールに依存するようになりました。
倒産体験(3)に続きます。
次回は③倒産体験(3) ~放置・逃亡~、④倒産体験(4) ~あとがきにかえて 倒産の手続きの先にあるもの~ に続きます。