元事業経営者にして倒産経験のある内藤明亜の、倒産と闘う!ためのWebサイトです。

内藤明亜の経歴

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経営コンサルタント。経営危機コンサルタント。

経営危機に陥った小規模零細企業を対象に、可能であればその経営危機からの回避、あるいはその経営危機を受け入れて倒産等を経て次のステップに移行するためのコンサルテーションを主に行っています。
1994年に15年続けた会社(年商三億円前後)を倒産させ、翌年明日香出版社で『倒産するとこうなる』を出版しました。
前職でマーケティング関連の企画に携わっていたことを実務で活かす形で、経営危機に特化したコンサルタントとなりました。
コンサルタントとしてのキャリア18年、対応した依頼人(相談者)数は750人を超えるに至りました。
基本的な対応姿勢としては
「回避にしても倒産するにしても、技術的なことは重要だが、心理的な要因も大きいため、事業経営者としての大きな曲がり角をうまく曲がれるようなアドバイスをする」
ようにしています。
1998年から東京都新宿区にささやかな事務所を開設(新宿区の中で三回移転)し、全国各地からの依頼人のご相談に応じています。

内藤明亜の経歴書

[1946年 4月中野区生まれ]
東京生まれで、東京育ち。逆算すると1945年8月15日直前の受精です。
両親は〝撃ちてし止まん〝の精神でわたしを産んだのかどうか。疑問が残ります。
「内藤明亜」はペンネームです。「Nightmare」が下敷きであることはなかなか見抜かれません。
本名は『TIME』誌の記事中に書かれています。

[1965年 明星学苑高等学校普通課卒業]
最終学歴は高卒です。

[1967年 多摩美術大学付属多摩芸術学園映画課中途退学]
この専門学校は中途退学でした。放校(除籍)だったかもしれません。

[映画関係のアルバイトに多数従事]
最初は映画作家を志向していました。
円谷プロダクションでアルバイトしていた時(第一期の『ウルトラマン』)に「ザラブ星人」の中に入り、ウルトラマンと戦った経験(スーツ・アクター:TVにオンエアされた)があります。

[1969年 (有)第一宣伝社に入社]アカウント担当。 映画の道を断念し、広告の世界に入りました。
[(株)大東クリエイティブセンター] 制作部コピーライター兼ディレクター。
[(株)ジャパド] マーケティング部プランナー。
[(株)創美企画] 制作企画部次長マーケティングディレクター。
SP代理店、制作会社、広告代理店と、広告関連会社を歩みました。

[1979年 (株)スリークォーターを設立]
代表取締役マーケティングディレクター。
キャリア十年、三十代半ばで事務所を持ちました。
企画主導の制作会社を中央区銀座に設立し(その後新橋に移転)、プレイングマネージャーを足掛け十五年間勤めました。
社団法人日本広告制作協会(OAC)に参加、後に理事を勤めました。

※もともとのフィールドは[マーケティング・ディレクター]であり、[プロモーション・プランナー]であり、[クリエイティブ・ディレクター]でした。
24歳のとき広告業界に入り、サラリーマンを10年やりました。その間に身につけたのは[プロモーション・プランナー]のノウハウだったのです。
新製品の〝市場導入プロモーション・プラン〝や需要期の〝キャンペーン(プロモーション)・プラン〝などの企画書を書くことが仕事になっていきました。
企画を立てることができ、なおかつ企画書が書けるということがまだ珍しい時代で、依頼があまりに多いのでサラリーマン時代には友人たちとアルバイト用の個人事務所をもっていた時期もありました。
35歳で会社を設立してからは、[マーケティング・ディレクター]として〝市場〝を分析し、位置付け、その市場を開拓する視座を持って、[プロモーション・プラン]を立案し、それにかかわる[クリエイティブ・ディレクター]を勤めていました。
その会社の経営を15年やりました。最大売上が[4億円]、社員数が[20人]ほどでした。

※この頃の仕事についてはこちらをご参照ください。

[1994年会社が倒産 フリーとなる]
会社経営15年目に会社を倒産させました。
当時、倒産者(破産者)は会社の役員には簡単にはなれない時代だったので、就業することなくフリーになりました。
フリーのプロデューサーとしてこれまでのキャリアを活かして活動していました。
この領域の仕事は需要があるのでしょう、断続的にいまだに続いています。

[1995年夏から嘱託契約]
欧州車の輸入代理店の嘱託をして、好きな領域でマーケティング、広報などの仕事を担務していました。

[1993年から]
建設省建設大学校の常任講師を、「広報」の講義を継続的に行っていました。

[1995年10月 明日香出版社より上梓]
第一作『倒産するとこうなる』を出版しました。
反響の大きさに後押しされる形で、[経営危機コンサルタント]として[内藤明亜事務所(個人事務所)]を起業したことになります。
以降、個別対応のコンサルテーション、著述、講演、などを続けています。

[2011年9月~現在]
『継続か!倒産か!』を上梓。
『倒産するとこうなる』以降、都合九冊の著作を著し今日に至ります。

内藤明亜の身上書

○家族
祖先をたどったところ四代前に長野県(南佐久)から東京に出てきたことは判りましたが、その前が判明できず、しかもわたしを含めてこの四代が全部男の一人っ子だったので係累がありません。生粋の東京人だと思っています。

戦災で焼けてなくなってしまったのですが、以前菩提寺にしていた浅草の明星山出山寺(吉原のすぐ隣)にあった過去帳を見た人の記憶によれば、祖先は元禄時代まで遡ることができ、井出伝六と名乗る人がもっとも古いということでした。
四代前(高祖父:ひいひいじいさん)は万延元年生まれです。

父は大正生まれの事業家(運送業)だったようで、昭和二十年代後半には千代田区神田に会社を持ち手広く事業をやっていたようでした(朝鮮戦争特需)が、その会社もたたみ(倒産だったと思われます)晩年は昔世話になった会社に面倒を見てもらい、サラリーマン役員として生涯を終えました。北大路魯山人の友人だった、とのことで魯山人の作品がいくつか残されています。
明治生まれの母は戦争中東京本郷で本屋をやっていたとのことです。
わたしが二十一歳の時に母を、二十七歳の時に父を亡くしています。

家族は、四十年連れ添った妻は2012年三月に大腸癌で逝去。
ペンキ職人に嫁いだ長女(ここには孫が四人<女・女・女・男>もいる)。
長男は国産通信コンピュータメーカーに就職し、結婚。2012年の暮れにはここにも男の孫が誕生。

わたし自身は2012年の春に思いがけずに妻に先立たれて単身者生活を送っています。

戌年生まれ。牡羊座。O型。身長 168㎝、体重 79kg 。
中性脂肪過多。常に肥満と戦っています。
1999年に急性心筋梗塞で緊急入院、ステントを入れる緊急手術をしました。
現在は血圧安定にして、極めて健康です。
週に二~三回ほどGymに通い、バーベル運動と水泳で体力維持につとめています。

○趣味

趣味は多領域で深いほうです。

[クルマ関連のこと] 軽量のスポーツカーでサーキットや峠や首都高を走ることが好きです。

[スキューバダイビング] 最深47m。最長一時間二十分。グアムの海が好きです。

[ジャズ] 五十年間聴き続けています。主に五十~六十年代のメインストリームが中心でしたが、最新のNewYorkのジャズも聴くようになりました。年一回はNewYorkに行ってジャズクラブめぐりをするのは最大の楽しみのひとつです。

[読書] ノンフィクションを、古今東西のものを読み漁っています。

[落語] 古典的な噺が好きです。歴史的な音源から最新の落語家まで幅広く聴いています。週一回は寄席や落語会に行くことが理想です。多い年は年間400席ほどの落語を聴いています。

[料理] 包丁が研げます。レバーペーストからねぎま鍋まで、うまいものを作ります。

[着物] ネットオークションで求めたものを気軽に着ています。

[オーディオ] 元々はアナログ志向、JBL-LE-8Tを真空管で鳴らした音が好きです。

[映画] これは一時期のヨーロッパ映画だけが好きなのです。アメリカ映画はあまり見ません。

真剣にやったスポーツは軟式テニス(中学時代に東京都でベスト16に入りました)と水泳(ブレストで四千米泳がされました)です。
軽くやったスポーツは野球(草野球のキャッチャーでした)くらいでしょうか。テニスをやっていたおかげで肘と膝を痛めてしまい、それ以降関節に負担がかかるスポーツは苦手になりました。スキーとゴルフはやりません。

非喫煙。元愛煙家にしてヘビースモーカーでしたが、心筋梗塞を罹病してからきっぱりとやめました。いまや、タバコの匂いは苦手なものの筆頭になってしまいました。

コーヒーは一日五~十杯以上。この癖は代わりません。

お酒の習慣はありません。元来アセトアルデヒド脱水素酵素(ALDH1,2)が両方とも不活性のため、〝呑めない(呑むと危険)〝のです。このことには長いことコンプレックスを持っていましたが、還暦を迎える頃になると軽く受けとめられるようになりました。

賭けごとの習慣もありません。ときに自身をギャンブラーの資質があると感じることはありますが、競馬など既成のギャンブル癖はありません。
カラオケは嫌悪しています。

クルマの免許を取得したのは遅く四十歳代半ばでしたが、それ以降クルマにのめりこんでしまった、と云われています。
車歴は、SAAB-900TURBO-CABRIORET、EUNOS-ROADSTER、CATERHAM-SUPER-SEVEN、GOLF-GLI、 M2-1001、CIVIC、FAMILIA、RENAULT-5、LANCER-TURBO、CORSA、BMW320(LeftHander、Manual Transmission、200,000㎞以上の走行距離)。EUNOS-ROADSTER-V-SP、そして、今乗っているクルマは22年前の黒の[EUNOS-ROADSTER-S LIMITED]。ROADSTERでは四台目で、赤い内装の希少車です。

電話でのお申し込みはこちら TEL 03-5337-4057 24時間いつでも受付

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