よく経営者への箴言として、[イエスマンを置くな]といわれている。
もちろん、イエスマンばかりではよろしくないことは言うまでもないが、逆にイエスマンが一人もいなかったら事業経営は困難になる。

この問題を考える場合に留意しなければならないことは、[会社の仕事]と[会社の運営]を厳密に分けて考えなければならないとうことだ。

[会社の仕事]に関しては、おおよそほとんどの会社が売上至上主義で利益無限追求の、〝拡大再生産〝を志向しているので、これはイエスマンの存在が大きく、経営者が提示した会社の方針に役員や社員に水をかけられたのでは運営はし難くなる。

一方で[会社の運営]に関しては、売上の量や利益を超えて、縮小や方針転換など会社の存続を決定づける、すなわち役員や社員に苦行を強いる場合がある。
自らの生活権に反するような意思決定は、役員や社員にといっては難しい判断になるのであるが、経営者にとってはこの点こそが会社の将来性を左右することになるという二律背反を秘めている。

わたしの15年にわたる経営経験で申し上げると…。
社員や役員はイエスマンになってしまうものだ、ということだ。
イエスマンになることを望まないといくら言っても、みんなイエスマンになってしまう。稀に自分の意見や考え方を持っていたり、反骨精神をもっている者がいても、そういう者はすぐに独立したり、他の会社に転職してしまったものだ。

小規模零細企業の経営者は、融資に当たってはそのほとんどが所有不動産などの担保価値のあるものは抵当権(根抵当権)を設定され、ローンやリース、場合にとっては取引に際して代表者個人の連帯保証を取られているものだ。すなわち、全財産、全存在を賭して経営に当たっている。
そのような経営者と、社員や役員が同じ問題意識を持つことはない。

例えば、規模縮小やタイトな経営に移行すると言えば、それは給与の減少を意味しているわけだから、賛同されるわけがない。
よく聞く事例だが、社員を集めて縮小方針を相談すると、逆に社員たちに「そんなこと言わないで、頑張りましょうよ」と励まされて感激するような経営者の話があるが、結果として最終的に苦しくなってくるとそういう社員はさっさと辞めていくものだ。
倒産にしてもそうで、もう諦めるしかないと社員たちを集めて相談しても、「可能性がある以上、やれるだけ頑張りましょう」などと声をかけられて方針を変える経営者もよくいるが、結果として会社の債務を大きくして破綻し、全財産をとられて破産するのは経営者だけで、その時になって自らの判断の誤りに気づいても遅いのだ。

社員や役員をイエスマンにならないように教育育成することは、重要な経営者の仕事だが、一方で社員や役員以外の冷静な判断ができる〝相談相手〝を確保しておくことはさらに重要なことだということを、どうか心していただきたい。
経営者とは、孤独なものであると知らなければならない、のだろう。